zyooソロラップ作品『やさしさわたした』を公開しました

Youtubeにzyoo個人のラップ作品『やさしさわたした』を公開しました。
ちょっと長いですがこの曲を創るに至った経緯を簡単、ではなく複雑に述べたいと思います。

僕らは何のために生きるのか?
生きる意味を考えたときに、結局は生物学的な種の存続のためである、という結論にいたると思います。
ではなぜ種を存続させる必要があるのか?
それはきっと我々には当面は分からない命題だと思います。

では、種の存続のために生きることとはどういうことか?
zyoo個人の現時点の見解としては、「やさしさをわたすこと」だと思っています。
「やさしさ」をわたすと、受け取った人は生きる希望が持てます。
この希望を持ち続けることが生きることにつながります。

では「やさしさ」とは何か?
単純に「優しさ」と書けば相手を思いやること、となりますが、
「やさしさ」はzyooの定義では人に希望をもたらすものはすべて「やさしさ」だとしたいです。
きっとそれは家族、仲間からの想いやエールであり、誰かがこころを込めて作り上げたサービスやビジネスかもしれません。
そんな人に希望をもたらすものはすべて「やさしさ」と定義してこの曲を創りました。

そんな「やさしさ」を受け取って僕らは生きています。
だからその「やさしさ」を自分でない誰かにわたしていきたい、
それが自分の生きる意味につながるのではと思っています。
まあ何言ってんだこいつ、という気もするのですが、
その自分でもよくわかんない気持ちをラップにしてみました。
賛否両論色んな意見をもらえたら嬉しいです。
コメント欄やラップバトルで議論しましょう!

そして最後にもう一言。
自分を守ることに終始した「やさしさ」のない人間は絶対に許してはいけません。
自分も油断をするとそうなってしまいがちですが、僕の周りにはもちろんいないし、いたとしたら排除しています。
もし周りにそんなやつがいたら、自分がそうなりそうだったら、やさしさではなく、一言この言葉をわたしてあげてください。
「マザファック!」

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『やさしさわたした』
作詞:zyoo
作曲:道場秀三郎
編曲:道場秀三郎

何か消えてく形がないもの
夜瞳枯らしたときに
溜まってった確か
柔らかい透明の花びら
それを不安と思うことから
目を逸らすのが大人か?
それより大事?な事柄
決められ進んでくこのまま

縦に振ってる抗おうと
抱え続けた頭を
いつの頃からだろう
消えてくわたし
まだかろうじているうちに止まらず
想いのままにこだわる
したくないこころごまかすこと
だから花びらをわたす

やさしさわたしたら
またあしたもわたしだ
やさしさわたしたら
またあしたもわたしだ

奪われてく悲しさ
暗くなってく辺りが
花びらむしりはらしたら
遠ざかった明かりは
そんなわたしが許せない
でもその言葉すぐ出ない
「ごめんなさい」崩せない
虚勢張ってぶつけ合い

住む世界がモノクロに
なって感じる孤独を
わたし自体が脆くも
壊れ崩れ滅ぶ様
傷つかない場所に納まることやめ
恐怖に染まらず
わたしのこころ終わらす前に
残った花びらをわたす

やさしさわたしたら
またあしたもわたしだ
やさしさわたしたら
またあしたもわたしだ

いつかは消える足跡
明日もうそこにないかも
でも残しておきたい何かを
生きて死ぬまでの間の
わたしにできることは何か
今まで受け取ったのは確か
ふと振り返ると肩には
気付けばたくさんの花びら

やさしさわたしたら
またあしたもわたしだ
やさしさわたしたら
またあしたもわたしだ

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